婆ちゃんと祖母


「せっかく写真に写るのなら、ちょっと待ってて。」
カメラのファインダー越しに写る婆ちゃんは、手鏡を握りしめながらゆっくりとブラシで真っ白になった髪を梳かしていた。

po007

あれから、半年の月日が経った。
僕は、結婚や出産と大きなイベントが続いたため、暫くの間、婆ちゃんの所に顔を出せないでいた。
近年、自力で立てなくなってから、自虐な愚痴をこぼす様になった婆ちゃん。
そんな僕に出来る事は、愚痴を聞けるだけ聞き、ネガティブ色で埋め尽くされた頭の中を刹那ではあるがポジティブ色に塗り替えあげる事だった。
それだけに、婆ちゃんの事がいつも心配だった。

そんなある日、ようやく時間が取れたこともあり、半年前に撮影した婆ちゃんの写真を持って久しぶりに会いにいったのだ。
部屋のドアを開くといつもよりもにこやかな婆ちゃんが居た。
「よう、婆ちゃん、元気にしてたかい?」
それは、僕が婆ちゃんの部屋に入った際にかける毎度の挨拶だ。
いつもだったら、僕の名前を呼んで
「良く来てくれたねえー!!」
と満面の笑みで迎えてくれる。

だがしかし、この日は違っていた。
「何方だい?」
それは僕が想像もしていなかった返事だった。
「えっ?」
思わず、拍子抜けしてしまった僕。
前よりも目が悪くなったのだと思い、婆ちゃんの近くにまで寄ってみる。
「何方?」
「やだなあ、オレだよオレ。長男の○○だよ!!」
「・・・・えええ・・・誰だろう?・・・」
僕の頭は真っ白になった。

婆ちゃんの記憶から僕という存在が抜けていたのだ。
会っていなかった半年の間に痴呆が確実に進んでいた。
持ってきた写真を見せても、
「これ私じゃない。こんなの、いつ撮ったのだろうねー。」
とにこやかに微笑む。
僕が前に婆ちゃんと交わした会話の話をしても、何も覚えておらず、ただ笑顔で微笑んでいる。
其処に居たのは、僕の知っている自虐にふさぎ込む婆ちゃんでは無く、他人行儀で陰が抜けた様に表情が穏やかになった祖母だった。

力が抜けた。

目の前に確かに婆ちゃんが居る。
でもそれは僕の知っている婆ちゃんでは無い。
何よりも、彼女の記憶の中で僕という人間が居なくなっていた。
婆ちゃんとの思い出が走馬灯の様に僕の意識の中を駆け巡ってくる。
いつかはこんな日が訪れるかもしれないという予感は感じていた。
だが、いざ実際にその瞬間に居合わせてみると、それは僕が想像していた空虚感を遥かに凌ぐものだった。
祖母は終始、笑顔だった。
愚痴も何一つ零さず、生きているという喜びを感じていた。
記憶があっても、生きるという事に絶望していた婆ちゃん。
記憶は無いが、生きるという事を切望する祖母。
もしかしたら、これで良かったのかもしれない。
改めて感じたのだ。
僕らは人間の儚さと愛おしさの中で生きているという事を。
「じゃあ、また来るね。」
祖母の手をそっと握ると、
「そうかい。じゃあ、また来てね。」
祖母は皺の波打った手で僕の手の甲を包んだ。

このドアを閉めた時、僕らは再度ゼロの関係になってしまうかもしれない。

僕は笑顔で見送る祖母がドアで隠れるまでしっかりと記憶に焼き付ける。
そして僕は祖母の部屋を後にした。

微かにドアを閉め切らないままに。