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ようやく個人活動が再開できる環境が整ってきましたので、水面下で色々準備中です。
海外取材の現場を離れて、早いもので16年。
今思えば、命も顧みず、只々自分の中の正義を貫き、カメラを持って突き進む、一番情熱的でガチンコだった時代だったと思います。
今の自分の生き方の土台も、当時の経験からのもの。
勇気を持って一歩踏み出した当時の自分に感謝です。
ようやく個人活動が再開できる環境が整ってきましたので、水面下で色々準備中です。
海外取材の現場を離れて、早いもので16年。
今思えば、命も顧みず、只々自分の中の正義を貫き、カメラを持って突き進む、一番情熱的でガチンコだった時代だったと思います。
今の自分の生き方の土台も、当時の経験からのもの。
勇気を持って一歩踏み出した当時の自分に感謝です。
2002 PAKISTAN
エドワードはとても食いしん坊。
いつも隠れてこっそりお菓子を食べている。
次女:エドリーサ(8歳)はどんなことにも好奇心旺盛な女の子。
長男:エドワード(5歳)は負けず嫌いで寂しがりやな男の子。エドリーサとエドワードにとっては、路上が生活の場所でもあり、遊び場でもある。
※長女のベイビリン(15歳)は、遊び歩いていて滅多に帰ってこない。長女:ベイビリン(15歳)は多感な年頃の15歳。どこかに遊びにいくと2〜3日は帰ってこない。次女:エドリーサ(8歳)はどんなことにも好奇心旺盛な女の子。長男:エドワード(5歳)は負けず嫌いで寂しがりやな男の子。
エディ(夫)とジンジン(妻)はとても仲の良いおしどり夫婦。二人の間には三人の子ども達がいる。
元々、田舎でしみじみと果物農園を営んでいたエディ。
農業で生計を立てるのはなかなか難しく、さらに稼ぐために首都のメトロマニラに一家で上京をする。
しかし、都市部においては学歴も乏しかったエディでは、なかなかやっとってもらえる仕事もなく、辿り着いたのが路上生活をしながらの物売りだった。
路上では、様々な事情や境遇を抱えた人達が支え合いながら共生をしていた。エディ一家も路上というつながりの中で仲間となり、そして家族となっていく。
エディと妻のジンジンの子どもである次女エドリーサと長男エドワードは、物心がついた時には、この路上が生活の場所であり、学びの場所となっていた。
家族とは何だろう。
生きるとは何だろう。
幸せとは何だろう。
路上で生きるエディ一家の物語。
2006 philippine ーfilm作品ー
明けましておめでとうございます。
昨年は、大腸の病気や体調不良が重なり、満足に活動ができませんでした。
ホームページの更新もかなり止まってしまいました。
今年は体調も回復したので少しずつ再開していきます。
ホームページももっと中身の濃いものにしていこうと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今後は少しずつ、更新頻度高めに写真とともに様々なエピソード話も公開していこうと思います。
報道取材の取材記などはnoteの方を見ていただけましたら幸いです。
【ゴミと共に生きる】
かつてアジア最大のスラムと呼ばれていたフィリピントンド地区。その外れにスモーキーマウンテンと呼ばれるゴミの山が存在していた。3歳ぐらいから80歳ぐらいまでの老若男女がスカベンジャー(廃品を拾いながら生計を立てる人)と呼ばれる人々は、毎日送り込まれるたくさんのゴミの中から、換金できる金属を探し出して稼ぎにする。
現在は、その大半がパヤタスという別のエリアに移されている。